2010年05月19日
★闘牛百話83.名牛物語その3「荒鷲号」
★闘牛百話83.名牛物語その3「荒鷲号」
名牛物語りの3頭目は、「荒鷲号」を取り上げます。
荒鷲号は、私が初めて直に見た横綱です。
時代は、沖縄が本土復帰した1972年という歴史の節目に当たります。
徳之島から刺客として送り込まれてきた鮫島号がゆかり号を破り、王座に就きましたが、ゆかり号引退後の1968年以降は、群雄割拠の時代に突入しました。
「鮫島号」も長期安定政権を築くことができずに、デビューから22連勝した「昆布サイヨー」をはじめ、「栄野比トガイー」、「宇堅カキヤー」、「登野城台風」らがめまぐるしく王座を奪いあったのです。
そして、1972年、負け知らずのままで王座についた「荒風号」が、この群雄割拠の時代に終止符を打つかと思われた12月の復帰記念全国大会。
初防衛を果たし、21連勝と勢いに乗る「荒風号」の前に立ち塞がったのが、7連勝中の若手「荒鷲号」でした。
荒鷲号は、八重山産で、体重が約1トン。
鋭く曲がった万能型のトガイー角を駆使した掛け技を武器にしていました。
掛け技で相手の首をねじり曲げ、長期戦に持ち込んで、体力を消耗させたところで、押し込みからの腹取りに入り、勝負を決めるという戦法を得意としていました。
相手からすると、疲れ切ったところで、腹取りに入られるので、二度と向き合おうという気にならないのです。
この必殺の腹取りで、「荒風号」から王座を奪い、4年もの間王座に君臨し、デビューから22連勝という大記録を打ち立てたのです。
デビューからの22連勝は、「昆布サイヨー」と並び、「二代目荒岩号」の24連勝に次ぐ大記録です。
また、「昆布サイヨー」は、「鮫島号」と、「二代目荒岩号」は、「山天ゴバヌー」とそれぞれ引き分けが一つあり、完全な勝ちっぱなしという点では、「荒鷲号」の記録が最高記録になります。
ちなみに、横綱戦の27連続防衛を含む41連勝という空前絶後の大記録を持つ「初代ゆかり号」は、デビューから3戦目で敗れており、デビューからの連勝記録というのが、どれだけ大変なものであるかお分かり頂けると思います。
余談ですが、「荒鷲号」に敗れた「荒風号」ですが、その後も8連勝し、私が記憶しているだけでも29勝以上している名牛です。
勝負の世界に「たら、れば」は許されませんが、もしも「荒鷲号」がいなければ、「荒風号」がデビューからの連勝記録ホルダーになっていたかも知れません。
<初防衛戦のハプニング>
「荒鷲号」の初防衛戦の相手は、5年前「ゆかり号」を引退に追いやった元横綱「鮫島号」でした。
奇しくも「荒鷲号」を所有するのは、「ゆかり号」と同じ牛主なのです。
因縁の対決となったこの試合は、多くのファンの注目を集めました。
しかしながら、伸び盛りの王者の強力な掛け技の前に、全盛期を過ぎた「鮫島号」はなす術もなく防戦一方となりました。
そして、対戦中にいきなりマウンティングをするかのように立ち上り、無防備な腹部を「荒鷲号」にさらけ出し、そのまま押し込まれて敗走したのでした。
かなわないと見て奇襲戦法に出たのか、はたまた本当にマウンティングするつもりだったのかは、不明のままです。
長期政権を築いた「荒鷲号」でしたが、脚部の故障がもとで王座から転落し、その後島尻の有力者の下で再起を図りましたが、再び横綱に返り咲くことはありませんでした。
<当時の安慶名闘牛場の風景>
当時の闘牛の中心地は、具志川の安慶名闘牛場でした。
入り口は、今と同じで登り坂になっていますが、サイドはすすきが生い茂る野原でした。
グサン(杖)をついたタンメーが、下から上がってくる闘牛の迫力で、「オー」と声をあげながら上体を徐々にのけぞらせ、勢い余ってそのまま後ろに転落するという珍事件がありました。
近くにいた大人が助け出しましたが、すすきがクッションになり、かすり傷ひとつなく無事に闘牛観戦に向かうことができたのでした。
その時の牛は、確か「登野城台風」だったと思います。
<当時の活躍牛>
当時の全島大会に顔を出していたスター牛は、(私の記憶が正しければ)「大鵬号」、「天願カキヤー」、「赤道オート牛」、「琉映花形」、「昆布トガイー」、「名嘉商事一号」、「新貞号」の名前を記憶しています。
名牛物語りの3頭目は、「荒鷲号」を取り上げます。
荒鷲号は、私が初めて直に見た横綱です。
時代は、沖縄が本土復帰した1972年という歴史の節目に当たります。
徳之島から刺客として送り込まれてきた鮫島号がゆかり号を破り、王座に就きましたが、ゆかり号引退後の1968年以降は、群雄割拠の時代に突入しました。
「鮫島号」も長期安定政権を築くことができずに、デビューから22連勝した「昆布サイヨー」をはじめ、「栄野比トガイー」、「宇堅カキヤー」、「登野城台風」らがめまぐるしく王座を奪いあったのです。
そして、1972年、負け知らずのままで王座についた「荒風号」が、この群雄割拠の時代に終止符を打つかと思われた12月の復帰記念全国大会。
初防衛を果たし、21連勝と勢いに乗る「荒風号」の前に立ち塞がったのが、7連勝中の若手「荒鷲号」でした。
荒鷲号は、八重山産で、体重が約1トン。
鋭く曲がった万能型のトガイー角を駆使した掛け技を武器にしていました。
掛け技で相手の首をねじり曲げ、長期戦に持ち込んで、体力を消耗させたところで、押し込みからの腹取りに入り、勝負を決めるという戦法を得意としていました。
相手からすると、疲れ切ったところで、腹取りに入られるので、二度と向き合おうという気にならないのです。
この必殺の腹取りで、「荒風号」から王座を奪い、4年もの間王座に君臨し、デビューから22連勝という大記録を打ち立てたのです。
出典「闘牛 沖縄(沖縄タイムス社刊)」
デビューからの22連勝は、「昆布サイヨー」と並び、「二代目荒岩号」の24連勝に次ぐ大記録です。
また、「昆布サイヨー」は、「鮫島号」と、「二代目荒岩号」は、「山天ゴバヌー」とそれぞれ引き分けが一つあり、完全な勝ちっぱなしという点では、「荒鷲号」の記録が最高記録になります。
ちなみに、横綱戦の27連続防衛を含む41連勝という空前絶後の大記録を持つ「初代ゆかり号」は、デビューから3戦目で敗れており、デビューからの連勝記録というのが、どれだけ大変なものであるかお分かり頂けると思います。
余談ですが、「荒鷲号」に敗れた「荒風号」ですが、その後も8連勝し、私が記憶しているだけでも29勝以上している名牛です。
勝負の世界に「たら、れば」は許されませんが、もしも「荒鷲号」がいなければ、「荒風号」がデビューからの連勝記録ホルダーになっていたかも知れません。
<初防衛戦のハプニング>
「荒鷲号」の初防衛戦の相手は、5年前「ゆかり号」を引退に追いやった元横綱「鮫島号」でした。
奇しくも「荒鷲号」を所有するのは、「ゆかり号」と同じ牛主なのです。
因縁の対決となったこの試合は、多くのファンの注目を集めました。
しかしながら、伸び盛りの王者の強力な掛け技の前に、全盛期を過ぎた「鮫島号」はなす術もなく防戦一方となりました。
そして、対戦中にいきなりマウンティングをするかのように立ち上り、無防備な腹部を「荒鷲号」にさらけ出し、そのまま押し込まれて敗走したのでした。
かなわないと見て奇襲戦法に出たのか、はたまた本当にマウンティングするつもりだったのかは、不明のままです。
長期政権を築いた「荒鷲号」でしたが、脚部の故障がもとで王座から転落し、その後島尻の有力者の下で再起を図りましたが、再び横綱に返り咲くことはありませんでした。
<当時の安慶名闘牛場の風景>
当時の闘牛の中心地は、具志川の安慶名闘牛場でした。
入り口は、今と同じで登り坂になっていますが、サイドはすすきが生い茂る野原でした。
グサン(杖)をついたタンメーが、下から上がってくる闘牛の迫力で、「オー」と声をあげながら上体を徐々にのけぞらせ、勢い余ってそのまま後ろに転落するという珍事件がありました。
近くにいた大人が助け出しましたが、すすきがクッションになり、かすり傷ひとつなく無事に闘牛観戦に向かうことができたのでした。
その時の牛は、確か「登野城台風」だったと思います。
<当時の活躍牛>
当時の全島大会に顔を出していたスター牛は、(私の記憶が正しければ)「大鵬号」、「天願カキヤー」、「赤道オート牛」、「琉映花形」、「昆布トガイー」、「名嘉商事一号」、「新貞号」の名前を記憶しています。
Posted by ゆかり号 at 10:50
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