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2015年02月26日

★闘牛百話243.-若手有望牛選抜大闘牛大会の展望-

★闘牛百話243.-若手有望牛選抜大闘牛大会の展望-

旧正大会の興奮が冷めやらぬといった感じがしますが、3月は毎週闘牛大会があります。

20年前は、年間を通じてほぼ毎週開催されていた闘牛大会も、牛の減少(牛主の減少)で年々開催数が減少傾向にあります。

気候的な問題もあるでしょうし、春の全島大会を見据えての時期的な思惑もあるでしょう。

牛主からすると、このあたりで関係者やファンに猛アピールして春の全島大会への布石にしたいところでしょう。

昨年のこの大会では、古堅モータース白眉がその実力をまざまざと魅せつけましたし、先週5連勝を飾った雷神永龍号もこの大会がデビュー戦でした。




今回も期待の花形牛や若手の台頭が期待できそうです。

登場する牛たちの写真がないのは申し訳ありませんが、大会の見どころをコメント致します。


注目のシーの1番戦は、どちらも初黒星後の復帰戦ですが、徳之島で鳴らした有望牛対決となりました。

有心富士若は、徳之島で4連勝後沖縄入り。

2連勝のあと、昨年の夏の全島大会で中量級王者闘将ハヤテに挑みましたが、18分の激闘の末敗れました。

沖縄入りして骨のある相手に恵まれず、いきなり横綱戦というのもタイミングが悪かったでしょうか。

対する一発逆転光希JAPANは、徳之島で3連勝後初黒星を喫したあと沖縄にトレードされてきました。

1年近く休養期間がありますので、調整具合は問題なさそうです。

牛主としては、昨年のシーの1番で惜敗しているだけに、心機一転この牛で雪辱を晴らしたいところでしょう。


シーの2番戦は、昨年この大会で鳴物入りでデビュー戦を迎え、脆くも敗れた1100キロの巨漢黒岩号が登場します。

体重も増え、しっかり調整して昨年の汚名を挽回できるでしょうか。

相手も1050キロの大型牛、雷神極山です。


シーの3番戦は、ベテラン常勝会龍虎に、デビューから2連勝の一発逆転白竜王が挑戦します。


シーの4番戦には、北部の古豪トラムクーパンダが登場しますが、一時の勢いに陰りが見えているだけにどのような戦いを魅せてくれるのか注目されます。

シーの5番戦は、若手大型牛対決です。

宜野湾組合期待のみりあ花形に対し、うるま市宇堅の期待牛勇也若虎の対決です。

その他にも、7番戦に登場する名前が特徴的なジンベェ親分9番戦はデビュー戦の帰って来た!?メリケン

封切戦の若手軽量級対決、新竜会黄金VS武装戦線白星など、見どころ満載の大会になりそうです。


以下、取り組みは沖縄タイムスの紙面から引用致します。


 紅 組    番 付    白 組

有心富士若  シーの1番  一発逆転光希JAPAN

黒 岩 号  シーの2番  雷 神 極 山

常勝会龍虎  シーの3番  一発逆転白竜王

山栄一力   シーの4番  トラムクーパンダ

みりあ花形  シーの5番  勇 也 若 虎

風神27キング シーの6番  大 福 大 海

龍   剣  シーの7番  ジンベェ親分

肝高きゃら  シーの8番  大 城 花 形

宗 天 龍  シーの9番  帰って来た!?メリケン

新竜会黄金  シーの10番  武装戦線白星
  

Posted by ゆかり号 at 06:02Comments(0)闘牛

2015年02月25日

★沖縄の稲作の発祥地「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」-親田御願(うぇーだうがん)-

★沖縄の稲作の発祥地「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」-親田御願(うぇーだうがん)-

沖縄タイムスの記事によると、2月23日(月)南城市玉城百名の「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」で、伝統行事「親田御願(うぇーだうがん)」が行われました。

受水走水は、沖縄の稲作の発祥地と言われ、その昔中国から稲穂を加えてきたがこの地で息絶え、くわえていた稲穂が発芽して稲作が始まったとの言い伝えがあります。




地元の玉城小学校の校歌にも

「はじめて稲を植えつけて 沖縄中に広めた 遠い先祖を讃えよう 村の歴史を讃えよう」

と謳われています。

この親田御願(うぇーだうがん)は、豊作祈願と区民の健康を祈願する伝統行事で、旧正月の後の午(うま)の日に行われます。

地番は百名ですが、この行事を仕切るのは隣の仲村渠区です。

区長を中心とする代表者が敷地内にある「米地(めーじ)」「受水(うきんじゅ)」「走水(はいんじゅ)」「親田(うぇーだ)」の各拝所に手を合わせた後、田んぼである「親田」に稲を植えます。

この地区は琉球石灰岩の地層から濾過されてきた湧水が豊富な地域で、上方には、日本の水百選に選ばれている垣の花樋川(ひーじゃー)があります。

そして、海の方に目を向けると新原ビーチの東端、百名ビーチとも言われますが、砂浜のすぐ先の海中には、琉球の開闢神話の創造神アマミキヨが降り立ったと言われるヤハラツカサもあります。

因みに、ヤハラツカサのある百名ビーチは遠浅ですが、海流の流れが複雑で早いため、海水浴には適していません。

あたかも、神聖な場所への俗人の侵入を拒んでいるような不思議な場所なのです。

また、仲村渠区には、アマミキオが築いたと言われるミントングスクもあります。

更に、その隣の玉城区には、本丸の入り口が一枚岩のアーチになっている玉城城跡があり、その本丸跡からは、来週開幕するダイキンオーキットの会場である琉球ゴルフクラブが一望できます。

  

Posted by ゆかり号 at 04:49Comments(0)沖縄の年中行事

2015年02月23日

★闘牛百話242.-激戦続きの’15旧正大会の結果-

★闘牛百話242.-激戦続きの’15旧正大会の結果-

風邪をこじらせて観戦ができなかった旧正大会ですが、

FB仲間が中継してくれたおかげで自宅でも楽しむことができました。

仲間からの情報提供と「闘牛 IN OKINAWA」のHPの動画を参考に結果をまとめてみました。




封切戦は、雷神永龍号の粘りが期待されましたが、両牛の激しい割り技の応酬でパンダの白い顔面が鮮血に染まる激戦に。

15分46秒の死闘を制したのは、やはりスタミナに一日の長がある雷神永龍号でした。


伊良皆圧送魁皇は、首力で技牛新竜会針鼠に完勝。


夢乃爆弾は、腹取り速攻で亜華梨琉王を圧倒。


デビュー戦が期待された宝主成号は、威風堂々と登場してきましたが、相手のブルジュニアに戦意が無く不戦勝。


注目された4連勝中の不知火一華號VS辺土名牛志は、デビュー戦の辺土名牛志が終始落ち着いた取り口で完勝しました。

前途洋々たる辺土名牛志、今後の相手選びが注目されます。


シーの5番戦、沖縄入り2連勝中の風神ボロジノは、不動心に押され気味になりながらも一瞬の隙をついて腹取り速攻を決め3連勝としました。


元軽量級王者嘉良来亥背白は、栄栄王に貫録勝ち。


南乃大福は、100キロという体重差のあるレオン大力に勝ち。


そして迎えたシーの2番戦。

デビューから2連勝の武捷龍に対し、今や花形牛に成長した7勝1敗の大志パンダ

がっちり組んで互いの隙を伺う熱戦を展開しました。

首力と前足の踏ん張り勝負の激戦は、4分と言う短期戦の割には消耗戦のような熱戦となり、

最後は、これ以上は踏ん張りきれない!とばかりに大志パンダが諦めるように戦列を離れて行きました。

花形牛大志パンダを撃破した武捷龍には、更なる飛躍が期待されます。


シーの大一番は、1トンを超す大型牛の対決で、しかも100キロ差のある若手とベテランの対決。

若い一撃ガン太(1100キロ)の序盤の猛攻を徳昇龍が堪えて反撃に持っていけるかが注目されましたが、

いきなり押し込んだのは軽い(と言っても1トンの大型牛ですが)方のベテラン徳昇龍

あっという間に巨漢の一撃ガン太の体を九の字に曲げる先制攻撃を魅せました。

すぐさま体制を立て直し四つに組む一撃ガン太でしたが、出鼻をくじかれたのか、いつもの攻めが影を潜めます。

相手が出てこないと見るや、ベテラン徳昇龍は一発で勝負を決めに出てきました。

一瞬の間合いで相手の首筋を捕えて土手際まで押し込むと強烈な腹取り一発突き上げました。

予想外の展開に騒然とする場内。

激戦の旧正大会はこうして幕を閉じました。


以下、結果と対戦タイムは、沖縄タイムスの紙面から引用致します。


 勝ち牛    タイム(分.秒)

徳 昇 龍    1.33  一撃ガン太

武 捷 龍    4.01  大志パンダ

南乃大福    11.00  レオン大力

嘉良来亥背白  16.53  栄 栄 王

風神ボロジノ   2.27  不 動 心

辺土名牛志    6.11  不知火一華號

宝主成号    不戦勝  ブルジュニア

夢乃爆弾     1.38  亜華梨琉王

伊良皆圧送魁皇  7.22  新竜会針鼠

雷神永龍号   15.46  みのわのパンダ

  

Posted by ゆかり号 at 21:42Comments(0)闘牛

2015年02月20日

★蘇る「いざいほー」-神の島久高島の神事-

★蘇る「いざいほー」-神の島久高島の神事-

1966年に撮影された記録映画「イザイホウ」が公開されることになったそうです。

2月28日(土)~3月22日(日)の3週間、那覇市牧志の桜坂劇場での公開(千円)です。

撮影者は、豊見城市在住の野村岳也(81歳)監督。




1967年に完成したものの住民が公開を望まなかったということで陽の目をみることがなかったというこの記録映画ですが、当時の関係者も亡くなり、またフィルムも劣化し記録自体が失われるという危機感から公開が決まったということです。

久高島で生まれ育った既婚の30歳以上の女性によって行われるこの儀式は、琉球の開闢神話の地久高島の巫女になるためと、琉球王府の最高の神官である聞得大君(きこえのおおきみ)に仕える資格を得るための儀式だと言われています。

いざいほーは、撮影された1966年の次の1978年を最後に途絶えています。

対象となる女性がいなくなったことが原因ですが、1978年には、地元南城市の知念高校の高校生も「いざいほー」を取材し、記録に残していますが、当時の高校生も既に53歳になっています。

恐らく、この記録映画が消えてしまうと、いざいほーそのものを知る人も途絶えてしまう運命にあります。

興味のある方は、3週間の間に桜坂劇場に足をお運びください。
  

Posted by ゆかり号 at 05:56Comments(0)沖縄の年中行事

2015年02月19日

★闘牛百話241.-’15旧正大会の展望-

★闘牛百話241.-’15旧正大会の展望-

恒例の旧正大会が今年もやってきました。

22日(日)午後1時からうるま市石川多目的ドームでの開催です。

先着千名様には、お米2キロが配布されるとのことですので、お早目に来場されることをお勧めします(^.^)/~~~!!

注目のシーの大一番には、巨漢一撃ガン太(1100キロ)VS徳昇龍(1000キロ)の組み合わせが決まりました。

昨年の秋の全島大会では前王者古堅モータース若力に善戦した一撃ガン太は、巨体と湾曲したガン角を武器にガンガン前に出て行くのを得意としています。





一方、徳昇龍は、全島大会連続出場6回を誇る大ベテランで、戦ってきた相手も一流どころばかりです。





巨体を生かした一撃ガン太の序盤の攻めを徳昇龍が堪えきれるかが焦点です。

一気の攻めが決まれば一撃ガン太の圧勝劇もあり得ますが、徳昇龍が堪えれば、ベテランの逆襲劇が始まるでしょう。

両牛共に内に鋭く湾曲した角が特徴ですから、激しい割り技の攻防が期待できそうです。

どちらが勝つにせよ長期戦にはならないと思われますので、一瞬たりとも目が離せません。


シーの2番戦は、デビューから2連勝の武捷龍VS大志パンダです。

戦績では、7勝1敗と大志パンダが勝りますが、武捷龍が無敗牛の強みを出せれば激戦必至です。

リングアナウンサーの伊波大志さんの愛牛としても知られる大志パンダ




昨年は各地の大会に引っ張りだこになり、遂には昨秋の全島大会デビューも果たし、今や押しも押されぬ人気花形牛です。

武捷龍にとっては、一気に名を上げる絶好の相手です。

果たして、どのような戦いになるか多くのファンの注目を集める一番です。


その他では、元軽量級王者嘉良来亥背白の登場するシーの4番戦




沖縄入り3連勝を狙う風神ボロジノが古豪の不動心に挑戦するシーの5番戦

若手対決となる不知火一華號VS辺土名牛志シーの6番戦

昨秋の全島大会で驚異的な粘り腰を見せた4戦無敗の雷神永龍号が登場するシーの10番戦

手に汗握る熱戦と攻守が瞬時に入れ替わる激戦が交互に堪能できる好取組の連続になりそうです。

以下、取り組みは、沖縄タイムスの紙面から引用致します。


 紅 組     番 付    白 組

一撃ガン太   シーの1番  徳 昇 龍 

武 捷 龍   シーの2番  大志パンダ

南乃大福    シーの3番  レオン大力

栄 栄 王   シーの4番  嘉良来亥背白

風神ボロジノ  シーの5番  不 動 心

不知火一華號  シーの6番  辺土名牛志

宝主成号    シーの7番  ブルジュニア

亜華梨琉王   シーの8番  夢乃爆弾

伊良皆圧送魁皇 シーの9番  新竜会針鼠

雷神永龍号   シーの10番  みのわのパンダ
  

Posted by ゆかり号 at 06:04Comments(0)闘牛

2015年02月16日

★’15おきなわマラソンへの挑戦(4)-無念のタイムオーバー!-

★’15おきなわマラソンへの挑戦(4)-無念のタイムオーバー!-

練習不足の中、どこまでやれるかビッグチャレンジのおきなわマラソンでしたが、

18キロ地点の2時間40分という足切り時間に1分ほど間に合わずタイムオーバーのリタイアとなりました(ー_ー)!!

10キロ過ぎまでは順調に完走ペースで走れたのですが、

その後徐々に足が重くなり、13キロあたりから左脚が上がらなくなり、

15キロ過ぎには左太ももの付け根が痛み出し、走れなくなりました。

そのまま18キロ地点の安慶名交差点まで歩きっぱなしで、あえなくタイムオーバー!

全体的な練習量が不足している中で、直前の10キロ、14キロ走の疲れが取れないまま本番を迎えてしまったのがまずかったかと反省しています。

救護バスの隣の席の60代の男性も「初めてリタイアしたけど、ここらでタイムオーバーするなんてスピード不足だよね。練習を積んでないとフルは難しいね。」

とつぶやいていましたが、余程悔しかったのか、その後バスを降りるまで無言でした・・・。

7回目のおきなわマラソンにして初のリタイアは悔しいの一言です。

練習が出来ていないときは無理して走らない!ということを痛感した今シーズンのマラソン大会でした。

暫くは、20キロのトリムマラソン程度に留めておこうかとも考えています(*^_^*)!!


改修中の陸上競技場には大型電光掲示板が



くぐれなかったゴール!




スタート前のトイレは長蛇の列



こちらは表彰台です!




応援していただいたFBの皆さん、沿道のボランティアの方々、関係者の皆さん!どうもありがとうございました!!
  

Posted by ゆかり号 at 05:27Comments(2)ジョギング・マラソン

2015年02月14日

★1960年代の女の子の名前№1は?の答えは!

★1960年代の女の子の名前№1は?の答えは!

この質問の答えは、闘牛百話バックナンバー(3)にあります(^.^)/~~~!!

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闘牛百話(3)「娘に牛の名前は付けられん」(平成6年8月号)

オキナワンロックを語る時に「紫」が欠かせないように、この牛を語らずして沖縄の闘牛は語れない。

その牛とは、第1次闘牛ブームの火付け役となった巨漢・荒岩号を破って沖縄王座に就いた初代「ゆかり号」である。

時は1964年、東京オリンピックが開催され、競馬ではシンザンが戦後初の三冠馬となって日本中が沸いた年である。

「ゆかり号」は、小兵ながら歴戦の強者を相手に、45戦43勝2敗・横綱の王座27連続 防衛を含む41連勝という沖縄闘牛史上にさん然と輝く不滅の大記録を残し、一大ブー ムを引き起こした。

ゆかり号見たさに南部や北部からは徹夜組が出る程で、当時の松本 闘牛場は人の頭で真っ黒に見えたという。

その時の入場者数は2万人(現在の全島大会でも約5千人程度)を越えていたというから、いかにゆかり号の人気が凄かったかが理 解できよう。

更に、ゆかり号人気は社会現象化し、’60 ~’70 年代にかけて女の子の名前は「ゆかり」が大流行(貴方の回りにも沢山いるのでは?)。

逆におじーおば ーにゆかりと命名された父親が「まさか娘に牛の名前は付けられん」と届け出の際に「ゆりこ」と変えて届け、戸籍官吏のミスでこうなったと言い訳する等のエピソードも沖縄各地で数多く残されている。

因みに、現横綱ゆかり号は2代目で先代との血の繋が りはないが、先代の名に恥じぬ名牛として活躍している。

11月の秋の全島大会(沖縄 市営闘牛場)をお楽しみに!
  

Posted by ゆかり号 at 13:25Comments(0)徒然日記

2015年02月14日

★1960年代の女の子の名前№1は?

★1960年代の女の子の名前№1は?

気分転換にこんな話題を!

統計的な問題ではなくて、イメージ的な質問です。




1960年代の沖縄の女の子の名前ナンバーワンは、何という名前でしょうか?
  

Posted by ゆかり号 at 09:59Comments(0)徒然日記

2015年02月12日

★田舎の散歩道-海岸線を行く!-

★田舎の散歩道-海岸線を行く!-

家族で夕食を取ろうと、夕方から実家に向かいました。

夕飯にはまだ時間があるので、畑の野菜を取りに行くついでに海岸線を散歩しました。

折しも小潮の干潮時。

潮の引きも弱く、普段なら4~5百メートル先まで干潟が続く海も少し控えめです。

それでも沖には新原(ミーバル)から出ているグラスボートが観光客をもてなしています。




その左手には百名伽藍浜辺の茶屋が望めます。




防風林兼防潮林のモクマオウの間を堤防が続きます。




モクマオウの間からから顔を覗かせる干潮時の風景






偶然、メジロの大群に遭遇しましたが、私のカメラテクニックでは捕えきれませんでした(^_^メ)!!

帰りにどうにか1枚撮れたものの、薄暮時で何の鳥かも分からない状態です。




奥武島の橋。




帰宅するとそこにはご馳走が待っていました。

前日新原で撮れたばかりのコマ貝(和名:マガキガイ)




地元では、てぃらじゃー と呼んでいる貝ですが、

湯がいた後、貝から爪を引っ張り出して身を取り出し、ワタを取り除いて酢醤油で食します。

新鮮なてぃなじゃーは、こりこりして歯ごたえが良く、噛むほどに深い味わいがあります。

子供の頃は、いくらでもいたのですが、今では貴重な高級品です。

弟と二人ビールのつまみにかぶりつきました(^.^)/~~~!!
  

Posted by ゆかり号 at 04:49Comments(0)徒然日記

2015年02月10日

★今日のスポーツ(131)-九州選抜高校ハンド男子コザ準V・浦添も全国切符!-

★今日のスポーツ(131)-九州選抜高校ハンド男子コザ準V・浦添も全国切符!-

2月6日から3日間の日程で佐賀県で開催された九州高校ハンドボール選抜大会

全国大会出場枠8チームを、各県1位トーナメント上位6校と、

各県2位トーナメントを勝ち上がった2校と1位のトーナメントの下位2校がその座を争い、

沖縄代表は、男子が、コザ高校が準優勝浦添高校が勝ち上がり全国大会への切符を手にしました。

女子は、エースの故障欠場のアクシデントがあったものの那覇西が3位となり全国出場を決めました。

県大会2位のコザ校は、2位戦を勝ち上がったものの佐賀県1位代表に惜しくも敗れ、全国大会出場を逃しました。





男子の優勝は、全国ランキング1位と評価される大分県1位の大分雄城台高校

コザ高校は前半リードするも後半逆転され、20:22の2点差で敗れました。

県大会の準決勝浦添に敗れた興南が出ない分、コザ校には大きな期待がかかります。

全国大会でも組み合わせ次第では、九州大会の決勝戦がそのまま決勝戦となる可能性も高いのでは?と期待されます。

一方2位トーナメントを危なげなく勝ち上がった浦添高校は、決定戦で佐賀県1位の佐賀清和高校39:20の大差で下し、沖縄勢のレベルの高さをまざまざと見せつけました。

県大会で常勝興南を破った浦添高校にも全国上位の期待がかかります(*^_^*)!!
  

Posted by ゆかり号 at 06:17Comments(0)今日のスポーツ

2015年02月08日

★桜まつりの後の本部・今帰仁めぐり-久しぶりの岸本食堂-

★桜まつりの後の本部・今帰仁めぐり-久しぶりの岸本食堂-

妻の「桜を見に行きたい!」の鶴の一声で、やんばるへ!

朝ラン10キロの後、一風呂浴びて休む間もなく高速で名護へ!

八重岳の桜祭りは先週で終わっているものの、逆に混雑もなく桜を楽しめました。




屋台もほとんどなく、所々で車を停め、桜見物にふけりました(*^_^*)!!







山腹からは伊江島のたっちゅーも望めます!



つつじも綺麗でした!




お昼は、本部の岸本食堂へ。

八重岳の入り口にも支店ができていましたが、やはり本店でしょう。




1時頃でしたが、店の外に並ぶ観光客の姿が・・・。

空いている席にどんどん通され、それほど待つことなく出てきました。

かつお出汁が効いたシンプルな味が良いですね(*^_^*)!!

写真を撮る前に食べてしまいました。

そして、いつものように(と言っても10年振りくらいですが)となりの新垣ぜんざい店でぜんざいを!!




暖かい日だったのできめの細かい氷がサクサク入ります。

腹ごしらえが済んだら、今度は今帰仁城へ!




久し振りの今帰仁城は、整備されていました。

入り口には様々な売店や出店があり、飲食も買い物も楽しめます。

石積みの城壁。






今帰仁城の桜も見事でした。








帰りは定番の許田の道の駅へ!




なんと全国1030ある道の駅の人気投票で1位だそうです(*^_^*)!!

人気のおっぱ岳のアイスクリームは行列。

1個50円の揚げたて天ぷらは、さかな、いか、もずく、野菜、いんげんなど、揚げても揚げても行楽客が切れずに入ってくるため、トレーはすぐに空になります。

団子のコーナーも、サーターアンダーギーのコーナーも人だかりが凄いです。

久し振りに北部へのドライブで充実した一日を過ごしました(^.^)/~~~!!
  

Posted by ゆかり号 at 09:36Comments(0)沖縄の年中行事

2015年02月06日

★沖縄のコールセンター業界の歩み(10)-沖縄のコールセンター業界の今後(最終章)-

★沖縄のコールセンター業界の歩み(10)-沖縄のコールセンター業界の今後(最終章)-

統計的に把握されている数だけでも110社以上、従業員数でも1万5千人以上が従事する沖縄のコールセンター業界。

センターの運営形態も、業種も、仕事内容も、そして勤務する人々も、当初に比べてあらゆるものが多様化、高度化しています。

かつてのコールセンターの分類は、運営形態で、インハウスのコールセンターかベンダー(アウトソーシング)系のコールセンターか、

電話の内容で、インバウンドのコールセンターかアウトバウンドのコールセンターか、といような単純な分類が一般的でした。





インハウスのコールセンターとは、自社内の商品・サービスを扱うコールセンターを言い、一企業内の電話部隊(部門)であったり、電話部隊を子会社化したものでした。

例えば、銀行、保険会社、証券会社、通販会社の一部門や子会社が典型的なインハウスのコールセンターです。

一方、ベンダー系のコールセンターとは、自社独自の商品やサービスを持たずに、電話応対業務のノウハウを生かして他社の仕事を請け負うコールセンターで、複数の会社の業務を請け負うため、同じセンターに勤務していても担当する業務によって全く違う仕事をしていますし、ブースが違えば業務内容も社内でも秘密になります。

国内の大手のコールセンターの多くは、このようなベンダー系のコールセンターです。

ところが、インハウスのコールセンターでも、長年のノウハウを生かして、他社の業務を請け負い利益を生み出すセンターに移行していく形態も多くなり、この分類も妥当性が薄れつつあります。

次に、インバウンドアウトバウンドの違いですが、お客様から注文の受付や問い合わせを受けるのがインバウンド、商品の案内・販売等でこちらからお客様にかけるのがアウトバウンドという分け方をしていましたが、現在ではこのような分類も余り意味がなく、業務内容によっては区別がつくところもありますが、インもアウトも両方というところも多くなりつつあります。

そして、当初は、若い女性や主婦の職場だと思われていたコールセンターも、パソコンやテクニカル系の業務が増えてきたことにより男性の方が多いコールセンターも増えてきています。

また、コールセンターという名前も、電話業務だけでなく、FAXやEメールを使うのも一般的ですから、顧客と接するという意味でコンタクトセンターと呼ぶところも多くなってきています。

更には、電話業務だけでなく、人事・労務・経理・総務・資材調達等様々な事務処理業務を扱うBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング・Busines Process Outsourcing)という分野との境目も曖昧になってきています。

BPOとは、企業の部門の中で核となる頭脳の部分以外の部分を外注として受けるもので、今ではコールセンターは、このBPOの一部といっても良いかも知れません。

今や、BPO企業の業務の中にコールセンター機能が含まれたり、コールセンターの発展形としてのBPO企業も現れてきました。

例えば、数年前にある世界的なメーカーの子会社が沖縄に設立されましたが、ここは日本国内にある何十社もの関係会社の部品等の資材を一手に海外から調達する会社で、電話業務だけでなく、メール・FAXで海外とのやり取りも行います。

また、コールセンターとして沖縄に設立されたインハウスのコールセンターが、グループ企業の様々な事務処理業務を扱うまでに拡大し、社名からコールセンターを取り、本格的なBPOセンターに成長した企業も出てきました。

順調に伸び、発展し続ける沖縄のコールセンター業界ですが、このシリーズをはじめるきっかけにもなった宜野湾市にあったコールセンターのように助成金目当てと思われるようなセンターが存在したのも事実ですし、労働環境の悪いセンターも存在するでしょう。

しかしながら、多くのセンターが伸びていく中で、ブラックと言われるようなセンターは次第に淘汰されていく運命を辿ることになるでしょうし、また、沖縄の風土や県民性等も含めて、現場の声に柔軟に対応できないセンターも長続きはしないだろうと思われます。

ある外資系の世界的なBPO企業が運営するコールセンターは、ローコストオペレーションと独自のノウハウに固執する余り沖縄の水に馴染めなかったのでしょうか、僅か数年でセンターを閉鎖することになったことはある種衝撃的な出来事でした。

当初、人件費の削減と助成金を活用したローコストオペレーションを目指して沖縄に進出してきたコールセンター業界

15年以上の時を経て、様々な試練を乗り越え、試行錯誤を繰り返しながら、着実に沖縄という土地の養分を吸収して深く根を張り、幾つかの木々が成長しへと変貌を遂げて来ています。

そのが更に成長し、いつか大きな森ができる日を期待して、私も陰ながら見守っていきたいと思います。
  

Posted by ゆかり号 at 05:22Comments(2)沖縄のコールセンター

2015年02月05日

★疑問に思うことあれこれ ’15(2)-今話題の宜野湾市のコールセンター(2)!-

★疑問に思うことあれこれ ’15(2)-今話題の宜野湾市のコールセンター(2)!-

労使紛争にまでこじれた宜野湾市にあったコールセンター

既に事務所も閉鎖していますので「あった」と過去形なのですが、残された従業員の救済措置は何ら取られていないようです。

この事件をきっかけに、沖縄のコールセンターの歩みを書き始めたのですが、

このコールセンターは、最初から補助金が目的で進出し、補助金が切れて採算が取れなくなったら撤退しようと考えていた可能性が高いと思います。

地元紙も段々扱いが小さくなってきましたが、この問題は今後も起きる可能性が高いと思われますので、きちんと後追い取材をしてもらいたいと思います。




どのようにして沖縄に進出してきたのか、

どのようにしてスタッフを募集し、教育研修を行っていたのか、

そして、どのような待遇だったのか、

調べてみると(ネット上に残されている求人情報)、

勤務時間:9:30~18:30(交代制)、月平均給与:150,000円~、勤務:シフト制(週休2日)

フルタイムの求人ですが、パート社員もかなりいたようですから、主婦や一人で子供を育てながらの若いお母さんも多かったのではないかと想像できます。

沖縄でコールセンターを成功させるには

沖縄の文化や風土というものを理解した管理者のもとで、

粘り強く教育研修をしていけば、

応対品質の高いオペレーターが育成され、事業を成功させることが可能だと思います。

時間がかかる点は、補助金を活用して軌道に乗るまでのコストを抑えることでカバーできるはずです。

しかし、このセンターの場合は、テレフォンアポインターの仕事のようですから、オペレーターの育成に時間はかかってないかも知れません。

そうだとすると、補助金の切れ目が事業継続の切れ目だった可能性が高いですね。

しっかり、2年間に蓄積したデータベース(顧客情報)は持ち帰ったでしょうから、別の場所でまた補助金をもらいながら事業を再開すれば良い訳ですね。

やはり計画的な倒産でしょうか。

解雇された従業員を救うには、別法人になって活動を再開した会社から「法人格否認の法理」を使って同一法人と見做し補償金の支払いを求めることはできないものでしょうか。

しかし、コールセンターに限らず、従業員を物の様に扱う経営者のもとでは人は育ちませんし、事業の拡大も望めないのは言うまでもないことです。

二度とこのような事例を起こさないように、私たちもしっかり企業を見て行かなければならない!と、しみじみと感じます
  

Posted by ゆかり号 at 05:08Comments(0)疑問に思うことあれこれ

2015年02月04日

★沖縄のコールセンター業界の歩み(9)-沖縄の強み・ホスピタリティ溢れる県民性-

★沖縄のコールセンター業界の歩み(9)-沖縄の強み・ホスピタリティ溢れる県民性-

沖縄にコールセンターが集積した最大の要因は、県の取り組み、各企業の努力、時代の流れ以上に、オペレーターの応対品質の良さだと指摘しました。

それは、ホスピタリティー溢れる県民性に由来すると私は考えています。

「いちゃりばちょーでー」

「ゆいまーる」

「てぃがねー」

「困っている人がいたら助けたい」


この感覚は、教えて理解できるものではありません。





論理的思考が弱い、競争意欲が薄い、ストレス耐性が弱い、出勤率が悪い等々。

様々なマイナス面を指摘されながらも、沖縄でコールセンターが集積し、一大産業に成長した背景には、ホスピタリティー溢れる県民性に合致した仕事であったことが大きな要因だと言えるでしょう。

知識不足やテクニカル不足を補う応対品質の良さは、お客様の期待にどうにか応えようとする姿勢が基本となっています。

「申し訳ございませんでした」とお詫びをする姿勢も、顔の見えない相手に対して、机に頭をぶつけるのではないかと思えるほど深くお辞儀をするオペレーター。

「他にお困りなことはございませんか」と一言添えることができる心遣い

応対品質の良さ、高さを備えた人たちは、次第に経験を積むにつれて、効率も上がり、優秀なオペレーターへと次々と変身していったのです。

このような応対品質の良さを最大限に活用してオペレーターを育成し、センターを運営すれば、顧客満足度の高いコールセンターを構築することができることが証明されてきたのです。

個々の能力だけでなく、チームワークの良さも「うちなーんちゅ」の良いところです。

仕事とプライベートを厳密に区別しない県民性は、チームで仕事を任せることが多くなったコールセンターという組織には大きな力になりました。

脱落しそうな仲間がいるとみんなで励ましあい、お互いに助け合い、プライベートでも協力し合って、仲間が仲間を育て支え合っていくのです。

このようにして、個々の力とチームとしての力が相乗効果を生み、本社に負けない、他府県に負けないコールセンターが出来上がって行きました。

そして、必然的に、このような人材を生かすために、コールセンター業界も大きく変化を遂げて行きました。

働く人のニーズに応じて、勤務スタイルも多様化し、短時間のパート・アルバイトから、フルタイムでも勤務日数が選択できるとか、曜日が選べるセンターも出てきました。

更に、賃金体系を見直し、キャリアパス制度も整備し、時給制のパート・アルバイト・契約社員から、月給制の正社員化を図るセンターまで登場してきました。

福利厚生も充実し、託児施設を併設するセンターも多くなりました。

個々のセンターのイベントだけでなく、地域ごとのイベントや行事にも企業ぐるみで参加し、仕事もプライベートも充実した人たちが溢れるようになりました。

このようにして、沖縄にコールセンターが進出をはじめて15年余りが経ちました。

当初、ローコストオペレーションを目的に沖縄に進出してきたコールセンター業界でしたが、次第に顧客満足度の高いセンター、より高収益なセンターを目指して沖縄に進出するように変化してきたのです。

-続く-
  

Posted by ゆかり号 at 05:38Comments(0)沖縄のコールセンター

2015年02月03日

★沖縄のコールセンター業界の歩み(8)-沖縄がコールセンターの集積地になった真の理由とは-

★沖縄のコールセンター業界の歩み(8)-沖縄がコールセンターの集積地になった真の理由とは-

定着率が悪いという噂を完全には払拭しきれない沖縄のコールセンター業界でしたが、県の施策や進出企業の努力により、安定したセンター作りが功を奏し、再び日本のコールセンター業界は沖縄へと進出を始めました。

特に平成21年のリーマンショック以降は、ローコストオペレーションの波が更に強まり、次々と沖縄にコールセンターが進出してきました。

一時期は、「沖縄に進出したのは失敗だった」と公言する経営者もいたほどですが、それは、出勤率や定着率の問題だけでなく、センターが稼動してもなかなか効率が上がっていかないからでした。

効率とは、1時間当たりに1人のオペレーターがお客様と応対する件数のことです。

業務内容によってそのセンターで要求される目標の効率が決められますが、総じて沖縄のコールセンターの立ち上げの際は効率が目標値に届かない、或いは目標値に届くのに時間がかかり過ぎると言われていました。

例えば、処理件数によって利益が決まるアウトソーシング型のセンターは当然ですが、受付件数によって売り上げが決まる通販や保険などの販売系のコールセンターなども効率は大事な指標となっています。

利益と直結し易い効率という指標は、一見すると経営者には分かりやすく非常に重要視されていたのです。

出勤率が悪くて、定着率も悪い、しかも効率も悪い沖縄センター!

経営者なら進出したのは失敗だったと言ってしまうのも無理はない話しだったと思います。





ところが、コールセンターのオペレーターを評価する指標には、もう一つの重要な指標があります。

それは、応対品質(クオリティー)です。

効率は、いかに早く処理できるかを判定する指標ですが、応対品質は、案内の正確さであったり、お客様の満足度を評価する指標です。

効率のように単純な数値として表現し難いため分かりづらいのですが、正確で丁寧な案内、感じの良い案内、電話をかけてきたお客様が安心して話せるような応対、またここから買おうとか、またここに相談しようと思えるような案内ができているかどうかを判定するものが応対品質なのです。

効率良く電話を終わらせても、不正確な案内だったり、分かりにくい案内だったり、またお客様が不愉快に感じるような案内だったら、お客様は再確認のために再び電話をかけてくる場合があります。

更に、最初に受けたオペレーターの応対が気に入らない場合は、別の人に対応してもらおうと意図的にお客様の方がかけ直しをする場合もあります。

応対品質の悪いオペレーターが対応すると、1回で終わる電話が2回も3回もかけ直しをしないと終わらないことになってしまいます。

これでは、幾ら表面上の効率が良くても意味がありません。

一見良さそうに見える効率が、実際は数字の半分或いは三分の一しかないことになります。

効率が良くても応対品質の悪いオペレーターが多いと、電話の入電数が増え、電話が繋がりにくくなるケースも出てきます。

電話が繋がりにくくなると、急いでいるお客様は、段々いらいらしてきて、不必要に怒りっぽくなってしまいます。

これでは、お客満足どころの話しではなくなります。

効率は、数をこなすこと(経験)で上げていくことができますが、この応対品質というものは、オペレーターの持っている人間性というものが大きく影響し、極端な言い方をすると、教えて身につくものではないのです。

なかなか教えて頭で理解できるものではないため、途中から応対品質が急激に良くなることは余りなく、応対品質の良い人最初からある程度の高い応対品質を持っているものです。

ベテランになれば効率は高くなりますが、ベテランだからといって応対品質が高いとは限りません

実は、沖縄のコールセンターのオペレーターの大きな特徴として、この応対品質良さ、高さが挙げられるのです。

今まで駄目出しばかりされていた沖縄のコールセンターのオペレーター

実は、オペレーターにとって非常に重要な要素である応対品質良さ、高さ

これこそが、沖縄にコールセンターが集積してきた最大の要因であると言えるのです(少なくとも私はこう考えています)。

-続く-
  

Posted by ゆかり号 at 05:26Comments(0)沖縄のコールセンター

2015年02月02日

★沖縄のコールセンター業界の歩み(7)-事態打開に向けた企業や県の取り組みと要員の流動化-

★沖縄のコールセンター業界の歩み(7)-事態打開に向けた企業や県の取り組みと要員の流動化-

沖縄のコールセンターは、出勤率が悪く、定着率も悪いという業界内の噂は、順調に進んでいた沖縄県の企業誘致にブレーキをかけることになりました。

また、退職した元コールセンター勤務のオペレーターからは、コールセンターじゃない、クレームセンターだ! 覚えないといけないことが多くて大変、時給が安くて割に合わない! 本土の企業や人は、人使いが荒くて冷たい! というような噂が流され、求人の何倍もの応募があった採用活動も徐々に苦戦するようになって行きました。

コールセンターの立ち上げに関わった現場の責任者や担当者は、当然指を加えて見ていた訳ではありませんでした。

沖縄に期待して進出してきたコールセンターの立ち上げ担当者達は、会社の将来を背負って来ているという自覚から、使命感をもって事態打開に向けて様々な取り組みを始めました。




シャイでなかなか積極的に声を上げないうちな~んちゅのオペレーター達に積極的に声をかけ、気になる素振りを見せると面談を繰り返しコミュニケーションを取るようにしていきました。

しかし、できたばかりのセンターには、本土から来たマネージャーやトレーナーばかりで、地元の若者や主婦達の感覚や風習が理解できないことが多すぎました。

例えば、欠勤の理由に「法事」と書くオペレーターが、何度も同じ理由で休むと冗談交じりに「何人親兄弟を殺すの?」と問い詰めると、屋敷の拝みごと(御願(うがん)だったり、病気がちの子供の厄除けの拝みごとだったりしますし、

とても理解できないのが「ユタ」に行くことだったりしたのです。

「ユタ?なにそれ???」という、理解不能な摩訶不思議な世界に困惑してしまうのです(極端な話しですが・・・)。

立ち上げ当時は、地元出身のマネージャーやトレーナーがいないセンターでは様々なカルチャーショックが巻き起こっていました(その後次第に地元採用のリーダーやスーパーバイザー、マネージャーが増えていきましたが)。

中には、通常2~3年単位で異動するセンター長が、地元の習慣や風習、オペレーター達に馴染んでいかないとセンター運営はできないということで長期間赴任するセンターもありました。

次に、人件費が安く付くということで沖縄の相場を検討して時間給を設定したものの、割に合わないとか、同じ仕事をしているのに本社のオペレーターとの差があり過ぎるという批判も続出していました。

センターが増えて採用が難しくなりつつある現状もあり、当初設定した時間給を上げるセンターや、習熟度に応じて段階的に時間給を上げるセンター、更には、先を見越してキャリアパス制度を構築してオペレーターに公開するセンターなど、

当初の予定外の時間給対策に、権限のない現場では、時間給のシミュレーション本社人事との折衝に試行錯誤の日々を送ることになったのでした。

研修中の脱落者防止策では、研修期間に余裕を持たせる方法や、少人数に分けて研修をする方法、先に実践に就いた先輩をトレーナー補助で横に付けて指導する方法、または、研修内容を幾つかのステップに分けて、ステップごとに座学-OJTを繰り返す方法などが採用されました。

各社共、試行錯誤を繰り返しながら、少しずつストレスなく研修を通過させる工夫が取られていきました。

そして、高い離職率に危機感を持った県も独自の取り組みを始めます。

外郭団体である(財)雇用開発推進機構(通称:エンパクト)が主体となって、コールセンター要員養成講座を開設し、オペレーターの育成に乗り出したのです。

この講座は、進出してきた大手のコールセンターの育成ノウハウを活用して、半年間の座学とOJTを経験させ、県内の各コールセンターに人材を供給することを狙いとしていました。

また、コールセンターはもうこりごりだ!と言って退職した若者たちが多かったのですが、どういうわけかめぐり巡って、他のコールセンターで働き始める人が増えてきたのです。

結局、スキル不足や自分の置かれた環境では普通に就職することは難しく、また、どこに行っても大変さは変わらない、それなら一度経験した電話業務を生かして仕事をしよう、ということで結果的にコールセンター経験者が、より自分に合った落ち着き場所を次のコールセンターに求めるようになったのでした。

初期の段階のコーセンター要員の流動化は、このような形で起こり、次第に定着する人たちが増えていきました。

そして、県の施策、コールセンター要員の流動化と定着、各センターの様々な対策が効果を挙げ、徐々にセンターの規模が拡大し、一つのセンターとして安定した稼動ができるようになっていったのです。

しかし、以前ほどではないにしろ、出勤率定着率については、今なおコールセンター業界の共通の課題として管理者の頭を悩ませ続けています。

-続く-
  

Posted by ゆかり号 at 04:52Comments(0)沖縄のコールセンター