2010年06月10日

闘牛百話88.名牛物語その7「二代目荒岩号」Ⅱ

★闘牛百話88.名牛物語その7「二代目荒岩号」Ⅱ

<王座返上>

旧正大会をどうにか切りぬけた俺だったが、春の全島大会を前にして、三度対戦相手探しが課題になった。

本当、自分でも嫌になるくらいだった。

何時までたっても対戦相手は決まらず、そうこうしているうちにとうとう組合せ会議を迎えてしまった。

そして、俺のオーナーや闘牛連合会のトップが出した結論は、な、何と!王座返上だった。

「このままでは、春の全島大会はファンを満足させられるような挑戦者は組めない。これでは大会そのものがつまらなくなってしまう。闘牛界を活性化させるには、荒岩に王座を返上してもらって新たなメンバーで王者決定戦を組むしか手はない!」

22連勝を目の前にしながら、何ともやるせない思いがこみ上げてきたが、闘牛界全体のことを考えると、俺もオーナーもこの提案は受け入れざるを得ないと諦めた。

ファンからは「「まんぷく光号」が引退を撤回してくれたら!」とか「2代目「ゆかり号」が怪我さえしなければ、すごい試合が観れたのに!」という声がしきりだったが、引退してしまった奴らを闘いの場に引き戻すなんてことは、土台無理な話なんだよなー。

闘牛百話88.名牛物語その7「二代目荒岩号」Ⅱ


出典「闘牛 沖縄(沖縄タイムス社刊)」


<宇和島への遠征>

気だるさと無気力の中で俺の春シーズンが終わりを告げた。

そして、うだるような猛暑の中でオーナーから告げられた言葉は、

「宇和島に行け!」


当時の闘牛コラムを引用してみよう。

― この夏のビッグニュースは、何といっても沖縄と徳之島の超大物が相次いで四国宇和島にトレードされたことです。

徳之島からは全島一のタイトルホルダー『佐平一号』(6戦全勝・1200キロ)が、沖縄からは無敗のまま王座を返上した前横綱『荒岩号』(21勝1分・1150キロ)が渡っていきました。

そして、11月に開催される大会では両雄の夢の対決が実現するというのですから2度びっくり。

更に、四国には昨年沖縄から全日本横綱の肩書を持つ『天心赤蜂』がトレードされていて、なんと日本の現役最強牛3頭が、一箇所に揃うという歴史的な大舞台が演出されようとしています。

名付けて「宇和島秋の陣」

どのようなドラマが待っているのか、今から胸が高鳴ります。

チムワサワサーするとはまさにこのこと ―


俺が22連勝を賭けた相手、徳之島王者の「佐平一号」は、沖縄産で、巨体と長い角を武器に徳之島で無敵を誇っていた。

余りにデカ過ぎて、対戦相手がいなかったんだ。

奇しくも沖縄と徳之島の両方で、抜けた強さを誇る横綱がいるために、タイトル戦がつまらなくなっていた。

必然的に俺と「佐平」の勝負が話題になったけど、どちらか一方が船旅で遠征しなければならないんで、なかなか対戦が決まらなかった。


四国宇和島はというと、闘牛では井上靖の小説の舞台にもなったくらい有名だけど、後継者不足とか、牛の絶対数が不足するなど廃れる一方で、活性化が大きな課題となっていた。

俺達がトレードされた裏には、こんな事情があったのさ。

宇和島に渡って闘うのなら互いに条件は一緒だし、話題性を求めていた宇和島関係者にとっても美味しい話しだったんだ。


トレードされた俺は「隆羽(たかは)」、「佐平一号」は「大昌(だいしょう)」の名前で日本一を争った。

俺達の闘いは、話題性としては抜群だったね。

日本中の牛所の注目を集めたよ。

新聞NHKも取材に来ていたし、闘牛ドームは超満員だった。

沖縄からは、観戦ツアーも含めて100 人近いファンが俺の応援に、徳之島からも同じ数の応援団と、神戸の徳之島出身者『佐平一号』の応援に来てくれた。


「闘牛を観るためにわざわざ来たの?」って宇和島市民はびっくりしていたけど「この試合が無かったらこんな田舎までは来ないさぁ」って松山空港から3時間近くもバスに揺られて、腰が痛くなったとこぼしていたオバーが言い返していた(沖縄のオバーって、チューバー(強い)だよね!)。


試合は、地元の観衆と互いの応援団の熱い声援の中で始まった。

「佐平」が土俵に現れた時の観衆の驚きとため息はすごかったよ。

「こんなにもでかい闘牛がいるのか?」って感じさ。

巨体をみせつけられた宇和島のファンは、当然のことながら「大昌(佐平一号)」有利!を確信していた。


巨漢同士の闘いに場内は、異様な雰囲気に包まれていた。

沖縄と徳之島の意地を賭けた対決。

応援団の形相ももの凄かったし、それを見ている宇和島のファンも次第に興奮していった。


でも、俺は冷静だった。

「大昌(佐平一号)」の若さと1200キロというパワーも、まだまだ俺の相手じゃなかったね。

奴の巨体をカブラー角でがっちり受け止め、動きを封じてしまったのさ。

最初威勢のよかった「大昌」も、初めて俺に壁を感じたんだろう、10分も経たないうちに息が上がってしまって、あっさり決着がついてしまったのさ。


大接戦を期待したファンには悪いけど、俺は無敵の「荒岩号」なんだ。

遂に、デビューからの連勝記録を22にした。

しかも、沖縄、徳之島、宇和島と渡り歩いてだ!。

俺は史上最強の闘牛だ!


<初の2頭掛け達成>

でも、俺が宇和島の土俵に上がることは、2度となかったんだ。

何故って?

答えは簡単!相手がいないんだよ!

数ヶ月後、三度俺は沖縄に戻ることになった。

もう一度、当時の闘牛コラムを引用しよう。

― 丑年のビッグニュースは、四国帰りの『荒岩号』がついに「2頭掛け」に挑戦することが決まったということです。

「2頭掛け」とは、1頭に勝った後すぐ別の相手と戦う対戦方法で、記録によれば過去6回行われていますが、一度も成功例のない過酷な戦いです。

何故か?それは体力的な問題に加え、事前に2頭と戦うことを知らないからです。

つまり、牛は賢い生き物で、餌の調整具合で試合が近いことを知り、勝負に勝てば一息つくことを知っています(学習効果)。

そこへ「もう一番」と言われても、心も筋肉もすっかり弛緩していますから、勝負どころではありません。

しかし、無敵の荒岩号には、2頭掛けという興行的な関心しかないと言うのが現状です。

古い闘牛ファンは、きっと思い出すでしょう。

初代荒岩号(デビュー戦で横綱に挑戦し勝った伝説的名牛)も、強すぎる余り相手がいなくなって「宇堅トラムクー」「グラマン」といったトップクラスとの2頭掛けに臨み「宇堅トラムクー」には勝ったものの、2頭目の「グラマン」では、力尽き初黒星を喫した事を。

因みに、再戦では「グラマン」圧勝し王座を奪回しましたが、その後初代「ゆかり号」に破れ、王座を追われています。


闘牛場で隣合わせた、あるオジーの呟きを思い出します。

「あれがなければ『ゆかり号』時代は来なかった!」

仮に歴史が繰り返されるとしたら、この2頭掛けは新たなヒーロー出現の予兆となるのでしょうか ―


勝てば勝つほど居場所がなくなるなんて、こんな牛も俺が最初で最後じゃないか?全く!。

「2頭掛け」と聞いて、俺もびっくりした。

主は、俺を殺すつもりじゃないかなんて真剣に疑ったよ。

2頭掛けは、大抵の場合トップクラスの、しかも横綱級の2頭と闘うんだ。

いくら俺でも2頭掛けは無理だと思ったね。

でも、相手の名前を聞いて安心したよ。

名前も聞いたことの無い格下だったからね。

しかも、練習も毎日2頭掛けを想定して、連続して2頭の牛を相手にしていた。

勝てる相手を選んでいたとはいえ、万全を尽くしたんだ。


そして、俺は堂々と(?)2頭を連破し、史上初の2頭掛けを達成した。

俺の強さだけが目立った試合だったが、関係者は俺の緊張感を持続させるために2頭目を入れる間隔を極力縮める努力を払っていた。

それだけに、俺よりもむしろ人の方が、ハイテンションを要求された一日だったかも知れない。


これで記録上は、史上初の24連勝(24勝1引分)だ。

空前絶後の大記録だと言われ、マスコミも「史上最強」の冠を俺に付けてくれた。


みんな!よーく覚えていてくれよ!

俺は無敵の「荒岩号」だ!


<その後>

荒岩号は、2頭掛けを最後に引退し、種牛としての悠々自適な生活に入った。

そして、次々と二世を世に送り出し、その多くは、父の巨体と勝負根性を受け継いで勝ち上がり、近いうちに横綱まで上り詰める牛が出るのは間違いないと言われていた。

更に、子供達は沖縄のみならず、徳之島宇和島にもいて、将来は3つの地域の横綱が全て「荒岩号」の血を引く牛によって独占される可能性も指摘されていた。

多くの名牛がその血を伝えることの壁に突き当たっている事実を考えると、驚異的な遺伝力であると言えよう。

ところが、種牛として前途洋々とした未来が見えていた「荒岩号」だったが、種付けの際に痛めたのか、脚部不安を発症し、次第に衰弱し始めたのである。

そして、平成12年秋転地療養を兼ねて石垣島に渡ったものの、遂に傷が癒えることなく、波瀾の闘牛人生に終止符が打たれたのである。


大型の活躍牛を次々と世に送り出した荒岩号だったが、遂に残された子供達から横綱に上り詰める牛は出てこなかった。

体躯は、遺伝したものの、その頭脳までは、DNAは伝えきれなかったのかも知れない。

せめて、あと数世代、後継牛を輩出できていれば?と思うのは、私一人だけではなかっただろう。

しかし、この件は、沖縄の闘牛が続く限り、いつか出てくるであろう次の名牛に引き継がれることになろう・・・。


通算戦績25戦24勝1引き分け。

沖縄、徳之島、宇和島の3箇所で横綱の地位に就き、史上最強の名を欲しいままにした名牛、「二代目荒岩号」

私達は、決して君の名を忘れない。



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Posted by ゆかり号 at 05:24 │名牛物語