2011年09月27日
★闘牛百話140.スペインの「闘牛廃止条例」について
★闘牛百話140.スペインの「闘牛廃止条例」について
27日の沖縄タイムスの紙面に出た記事です。
<カタルーニャで最後の闘牛 条例で来年から禁止>
25日、スペイン北東部カタルーニャ自治州のバルセロナで行われた、同自治州内最後の闘牛(ロイター=共同)
【パリ共同】スペイン北東部カタルーニャ自治州の中心都市バルセロナで25日、来年1月から条例で禁止される闘牛の同自治州内最後の興行が行われた。
1914年にオープンしたスペイン最大級の闘牛場「ラモヌメンタル」には約1万8千人の観衆が押し掛け、伝統の途絶を惜しんだ。
カタルーニャ自治州議会は昨年7月、自治州内での闘牛を禁じる条例を賛成多数で可決。賛成派は表向き動物愛護の精神を強調したが、背景には首都マドリードが代表するスペインの伝統と距離を置きたいカタルーニャ地域主義者の思惑があるとされる
私自身、スペインの闘牛を観たこともなく、特別研究した訳ではないのですが、スペインの闘牛の主役は、牛ではなく、闘牛を華麗に操る闘牛士「マタドール」なのです。
沖縄の闘牛は、逆で、闘牛・牛そのものが主役です。
スペインの闘牛は、マタド-ルが、如何に華麗に牛を操り、如何に華麗に仕留めるかが問われます。
簡単に言うと、男の勇敢さを競い、証明する勝負・競技なのです。
巨体の牛の突進から身を守り、鋭い角を間一髪の間合いで避け、最後に牛を仕留める。
まさに、勇敢な男の美学です。

その象徴の一つがマタドールの被る帽子、カポートです。
アメリカの種馬「Caporte」は、シアトルスルーの産駒で、アメリカの2歳チャンピオンなのですが、その名前の由来は、父の父「Bold Reasoning」にあると私は理解しています。
「勇敢さの証明」は、まさにスペインの闘牛士の象徴、闘牛士の被る帽子「Caporte」なのです。
20年余り前、牧夫をしていた時に、たまたま別の牧場の馬を預かった際に、面倒を看た馬の一頭が、このCaporteの子供でした。
何故この仔が「カポ」と呼ばれているのだろうか?に始まり、それが父親の名前だと知ると、何故シアトルスルーの仔の名前がカポートなんだろう?と調べ始めました。
調べてみて、カポートの意味、シアトルスルーの血統を総合的に判断すると、上記のような理解になった訳です。
スペインの闘牛と沖縄の闘牛の大きな違いは、主役が誰であるかということと、牛の扱いに大きな違いを見ることができます。
スペインでは、闘牛に出てきた牛は、その場で殺害されてしまします。
何故か?
一度、闘牛でマタドールと闘った牛は、学習効果で、真の標的は、ひらひらする赤い布ではなく、それを操る人間だということを理解してしまいますから、布ではなく、真っ直ぐマタドールに向かって行くのです。
かつて、スペイン映画のシーンで、広い牧場でマタドールを夢見る少年が練習のために牧場に忍び入り、放牧されている牛を相手に赤い布を使いマタドールの練習をすりシーンがあり、それは厳に禁止されているというようなシーンを見た記憶があります。
一度、人間を相手にした牛は、学習効果で、何が敵か、何処を目指せばいいかを理解しますから、牧場で人を相手にした経験のある牛が闘牛に出てくると、闘牛になりません。
赤い布ではなく、それを操る人めがけて突進しますから、如何にベテランのマタドールと言えども、その突進を避けることはできません。
スペインの闘牛は、ほぼ野生に近い状態で育てられ、人の手をかけることはありません。
スペインの牛にとって、人間は、仲間でも親でもなく、自分に危害を加えるかも知れない敵なのです。
逆に、沖縄の闘牛は、家族同様に扱われ、日々のブラッシングも欠かすことが無く、日々がスキンシップの連続です。
牛は、人間を親のように慕い、家族の一員として扱われ育ちます。
ここが、大きな違いです。
勿論、沖縄の闘牛の中には、「カミヤー」と言って、人に向かって行って、角で担ぎあげる気性の激しい牛もいますが、それは例外的な牛です。
スペインでは、できるだけ人の手をかけずに牛を育てるのです。
因みに、スペインの闘牛には赤いマントが使用されますが、牛の目には色神がなく、白黒の世界しか見えません。
ですから、赤い色は、人間を興奮させる材料でしかなく、牛にとっては、単なるひらひら動く、あたかも自分を馬鹿にしているかのように動く、訳の分からない物体なのです。
そして、真っ暗なトラックに乗せられ、真っ暗なスタジアムの隅で待機させられ極端な興奮状態に追いやられ、いきなり光り輝く闘牛場に引き出され、満員の観衆の歓声に驚き、訳が分からないまま、正面を見ると、自分をあざけ笑うようなひらひらを目にする訳です。
そうすると、牛としては身を守るために必死で突進して行くわけです。
これが、スペインの闘牛です。
スペインの闘牛には、それなりの起源があり、歴史がありますから、一概に沖縄の闘牛と比較することはできませんが、少しでも、その違いを理解して頂ければ幸いです。
27日の沖縄タイムスの紙面に出た記事です。
<カタルーニャで最後の闘牛 条例で来年から禁止>
25日、スペイン北東部カタルーニャ自治州のバルセロナで行われた、同自治州内最後の闘牛(ロイター=共同)
【パリ共同】スペイン北東部カタルーニャ自治州の中心都市バルセロナで25日、来年1月から条例で禁止される闘牛の同自治州内最後の興行が行われた。
1914年にオープンしたスペイン最大級の闘牛場「ラモヌメンタル」には約1万8千人の観衆が押し掛け、伝統の途絶を惜しんだ。
カタルーニャ自治州議会は昨年7月、自治州内での闘牛を禁じる条例を賛成多数で可決。賛成派は表向き動物愛護の精神を強調したが、背景には首都マドリードが代表するスペインの伝統と距離を置きたいカタルーニャ地域主義者の思惑があるとされる
私自身、スペインの闘牛を観たこともなく、特別研究した訳ではないのですが、スペインの闘牛の主役は、牛ではなく、闘牛を華麗に操る闘牛士「マタドール」なのです。
沖縄の闘牛は、逆で、闘牛・牛そのものが主役です。
スペインの闘牛は、マタド-ルが、如何に華麗に牛を操り、如何に華麗に仕留めるかが問われます。
簡単に言うと、男の勇敢さを競い、証明する勝負・競技なのです。
巨体の牛の突進から身を守り、鋭い角を間一髪の間合いで避け、最後に牛を仕留める。
まさに、勇敢な男の美学です。

その象徴の一つがマタドールの被る帽子、カポートです。
アメリカの種馬「Caporte」は、シアトルスルーの産駒で、アメリカの2歳チャンピオンなのですが、その名前の由来は、父の父「Bold Reasoning」にあると私は理解しています。
「勇敢さの証明」は、まさにスペインの闘牛士の象徴、闘牛士の被る帽子「Caporte」なのです。
20年余り前、牧夫をしていた時に、たまたま別の牧場の馬を預かった際に、面倒を看た馬の一頭が、このCaporteの子供でした。
何故この仔が「カポ」と呼ばれているのだろうか?に始まり、それが父親の名前だと知ると、何故シアトルスルーの仔の名前がカポートなんだろう?と調べ始めました。
調べてみて、カポートの意味、シアトルスルーの血統を総合的に判断すると、上記のような理解になった訳です。
スペインの闘牛と沖縄の闘牛の大きな違いは、主役が誰であるかということと、牛の扱いに大きな違いを見ることができます。
スペインでは、闘牛に出てきた牛は、その場で殺害されてしまします。
何故か?
一度、闘牛でマタドールと闘った牛は、学習効果で、真の標的は、ひらひらする赤い布ではなく、それを操る人間だということを理解してしまいますから、布ではなく、真っ直ぐマタドールに向かって行くのです。
かつて、スペイン映画のシーンで、広い牧場でマタドールを夢見る少年が練習のために牧場に忍び入り、放牧されている牛を相手に赤い布を使いマタドールの練習をすりシーンがあり、それは厳に禁止されているというようなシーンを見た記憶があります。
一度、人間を相手にした牛は、学習効果で、何が敵か、何処を目指せばいいかを理解しますから、牧場で人を相手にした経験のある牛が闘牛に出てくると、闘牛になりません。
赤い布ではなく、それを操る人めがけて突進しますから、如何にベテランのマタドールと言えども、その突進を避けることはできません。
スペインの闘牛は、ほぼ野生に近い状態で育てられ、人の手をかけることはありません。
スペインの牛にとって、人間は、仲間でも親でもなく、自分に危害を加えるかも知れない敵なのです。
逆に、沖縄の闘牛は、家族同様に扱われ、日々のブラッシングも欠かすことが無く、日々がスキンシップの連続です。
牛は、人間を親のように慕い、家族の一員として扱われ育ちます。
ここが、大きな違いです。
勿論、沖縄の闘牛の中には、「カミヤー」と言って、人に向かって行って、角で担ぎあげる気性の激しい牛もいますが、それは例外的な牛です。
スペインでは、できるだけ人の手をかけずに牛を育てるのです。
因みに、スペインの闘牛には赤いマントが使用されますが、牛の目には色神がなく、白黒の世界しか見えません。
ですから、赤い色は、人間を興奮させる材料でしかなく、牛にとっては、単なるひらひら動く、あたかも自分を馬鹿にしているかのように動く、訳の分からない物体なのです。
そして、真っ暗なトラックに乗せられ、真っ暗なスタジアムの隅で待機させられ極端な興奮状態に追いやられ、いきなり光り輝く闘牛場に引き出され、満員の観衆の歓声に驚き、訳が分からないまま、正面を見ると、自分をあざけ笑うようなひらひらを目にする訳です。
そうすると、牛としては身を守るために必死で突進して行くわけです。
これが、スペインの闘牛です。
スペインの闘牛には、それなりの起源があり、歴史がありますから、一概に沖縄の闘牛と比較することはできませんが、少しでも、その違いを理解して頂ければ幸いです。
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