2013年01月31日
★ディック・フランシス
★ディック・フランシス
ご存知のように、2010年2月14日、競馬界を背景にしたミステリー小説の第一人者(という表現が適切かどうかは異論もあろうかと思いますが)、ディック・フランシスが亡くなりました。
この年は、私にとっても人生の中で大きな転機になりましたが、偉大な作家を失くした哀しい年でもありました。
その2ヶ月後、4月に刊行された文庫版「祝宴」を書店で手に入れましたが、「追悼ディック・フランシス」の帯を目にした時、「これが最後の小説か?」と思うとなかなかページをめくることができずにいました。
「祝宴」を読み切ってしまうと、二度と彼の作品を読むことができない、という不思議な感覚です。
20代の頃、文庫の「興奮」から読み始めたシリーズは、文庫が出る度に読み続け、途中から年1冊ペースの新刊が文庫になるころには、私も、年齢とともに読む本が大幅に変わってしまいましたが、ディック・フランシスだけは例外でした。
そして、「祝宴」は、2年余りの間、いつでも手に取ることのできるPCラックの右端に置かれたままになっていました。
これが最後の作品と思い込んでいた私は、ハヤカワ文庫に近づくこともなく、2年余りが過ぎて行ったのです。
間抜けなことに、久し振りにハヤカワ文庫の棚に近づき、息子フェリックス・フランシスとの共著が、まだ3冊あることに気が付いたのは、つい最近のことです。
2年余りかけて、私は、ようやく「祝宴」を読むことができました。
初めて「興奮」を読み切った時と同じ興奮と心の奥底から湧き上がる勇気が、私の心と体を満たしたのです。
一方では、ディック色が薄らぎ、息子のフェリックス色がジワジワと出てきたのも感じます。
いたしかたない変化だと思いますが、その変化を感じつつ残りの3冊を楽しみたいと思います。
残りの3冊は、何時読もうか、それはそれで、新たな問題です(*^_^*)。
ご存知のように、2010年2月14日、競馬界を背景にしたミステリー小説の第一人者(という表現が適切かどうかは異論もあろうかと思いますが)、ディック・フランシスが亡くなりました。
この年は、私にとっても人生の中で大きな転機になりましたが、偉大な作家を失くした哀しい年でもありました。
その2ヶ月後、4月に刊行された文庫版「祝宴」を書店で手に入れましたが、「追悼ディック・フランシス」の帯を目にした時、「これが最後の小説か?」と思うとなかなかページをめくることができずにいました。
「祝宴」を読み切ってしまうと、二度と彼の作品を読むことができない、という不思議な感覚です。
20代の頃、文庫の「興奮」から読み始めたシリーズは、文庫が出る度に読み続け、途中から年1冊ペースの新刊が文庫になるころには、私も、年齢とともに読む本が大幅に変わってしまいましたが、ディック・フランシスだけは例外でした。
そして、「祝宴」は、2年余りの間、いつでも手に取ることのできるPCラックの右端に置かれたままになっていました。
これが最後の作品と思い込んでいた私は、ハヤカワ文庫に近づくこともなく、2年余りが過ぎて行ったのです。
間抜けなことに、久し振りにハヤカワ文庫の棚に近づき、息子フェリックス・フランシスとの共著が、まだ3冊あることに気が付いたのは、つい最近のことです。
2年余りかけて、私は、ようやく「祝宴」を読むことができました。
初めて「興奮」を読み切った時と同じ興奮と心の奥底から湧き上がる勇気が、私の心と体を満たしたのです。
一方では、ディック色が薄らぎ、息子のフェリックス色がジワジワと出てきたのも感じます。
いたしかたない変化だと思いますが、その変化を感じつつ残りの3冊を楽しみたいと思います。
残りの3冊は、何時読もうか、それはそれで、新たな問題です(*^_^*)。
Posted by ゆかり号 at 08:13│Comments(0)
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