2019年06月26日
★宮古馬!種の存亡の危機(Ⅱ)-琉球競馬の復活!!-
★宮古馬!種の存亡の危機(Ⅱ)-琉球競馬の復活!!-
結論から言うと、宮古馬の保存のためには、琉球競馬(ウマハラセー・ウマハラシー)の復活以外はないのではないかと考えます。
かつて、農村娯楽の闘牛(ウシオーラセー)以上に庶民の娯楽であった琉球競馬、ウマハラセー。
士族の遊びから徐々に一般大衆にも広がっていったウマハラセーは、大きな大会では一日がかりの大イベントで、現在の競馬とは異なり、一対一のマッチレースで、単に速さを競うのではなく、速さと動きの美しさを競う世界に類を見ない競馬だったのです。
一日50組のレースがあり、一番下のクラスから、メインイベントの最後の勝負に行くまで、末の50番から末の1番まであったそうです。
※掲載した写真は、全て2018年2月の沖縄こどもの国で行われたウマハラセーの模様です。
現在の闘牛で言う、シーの10番から、横綱戦のシーの1番というのは、この琉球競馬からきているのです。
「末の1番」が変化して「シーの1番」となっていったのです。
琉球競馬の特徴である美しい走りとは、側対速歩と呼ばれる走り方で、前後の足が同時に出る走り方で、4本の脚が宙に浮かない走りなのです。
通常の馬の走り方は、斜対歩、つまり左右の足がが交互に出る走り方です。
この走りは、体全体を使うためスピードは出ますが、上下動が激しく、乗っている人間も激しく揺れてしまいます。
モンゴル系の血を引く馬たちには自然にこの走りができるDNAを持つ馬が5%はいると言われています。
宮古馬や与那国馬にはこのDNAが受け継がれているのではないかと言われていて、ということは両方の馬は元を辿るとモンゴル系かもしれないということになりますが・・・。
この走りが求められた時代背景は、狩猟民族の狩りの場面と古代の戦争の場面です。
上下動の激しい斜対歩では、馬上の人間の位置が不安定で弓矢を射ったり、槍を投げたりという行動が制限されます。
上下動のない馬の走りだと、この動作が制約を受けにくく、狩りや戦の場面で有利に働くのです。
「天高く馬肥ゆる秋」という言葉は、実は、天が高くなり馬が成長する秋になると、モンゴル地方の匈奴たちが馬に乗ってやってきて、肥沃な大地から得られた農作物を奪いに来るぞ!という中国の警告の意味の言葉です。
話がかなり脱線しましたが、この琉球競馬は、直線距離の長い広い馬場が必要で、戦後復興期の沖縄では、次々と馬場が潰され、住宅地や商業地へと変わって行きました。
自然のくぼ地を利用してできる闘牛が戦後も復興を遂げたのとは逆に、闘牛以上に盛んだった琉球競馬は廃れるどころか、存在すら忘れられていったのです。
今、沖縄こどもの国では、この琉球競馬、ウマハラセーが復活し、年に数回ですが、行われるようになりました。
そこで活躍している馬たちは、宮古馬や与那国馬です。
動物園であるこどもの国だからできると言ってしまえばそれまでですが、この琉球競馬は、馬具や衣装なども独特のものがあり、宮古馬の保存だけでなく、伝統の織物産業など他の産業にも影響を与え得るものなのです。
宮古馬を活用したホースセラピーや琉球競馬を活用することで、観光地宮古島の付加価値を更に高める工夫はできないものでしょうか!!
勿論、月の餌代も十分用意できない民間の有志の力やボランティアの力では絶対無理です。
だからこそ、本気で宮古馬の保存を考えるのであれば「補助金を出せば良い!」という発想ではなく、ドラスティックな官民を挙げて、リゾート施設などの巨大資本を巻き込んだ展開が必要ではないでしょうか。
今必死で私財を投げうって宮古馬の保存に尽力している飼養者の方やボランティアの方々の努力に報いるためにも、簡単ではありませんが、大きな展開に持っていく工夫が求められていると私は考えています。
荷川取牧場でボランティアをしていた学生さんの言葉が忘れられません!
「一人でも多くの人に、宮古馬の存在と、現状だけでも知って頂きたいです!」
続く・・・!!
結論から言うと、宮古馬の保存のためには、琉球競馬(ウマハラセー・ウマハラシー)の復活以外はないのではないかと考えます。
かつて、農村娯楽の闘牛(ウシオーラセー)以上に庶民の娯楽であった琉球競馬、ウマハラセー。
士族の遊びから徐々に一般大衆にも広がっていったウマハラセーは、大きな大会では一日がかりの大イベントで、現在の競馬とは異なり、一対一のマッチレースで、単に速さを競うのではなく、速さと動きの美しさを競う世界に類を見ない競馬だったのです。
一日50組のレースがあり、一番下のクラスから、メインイベントの最後の勝負に行くまで、末の50番から末の1番まであったそうです。
※掲載した写真は、全て2018年2月の沖縄こどもの国で行われたウマハラセーの模様です。
現在の闘牛で言う、シーの10番から、横綱戦のシーの1番というのは、この琉球競馬からきているのです。
「末の1番」が変化して「シーの1番」となっていったのです。
琉球競馬の特徴である美しい走りとは、側対速歩と呼ばれる走り方で、前後の足が同時に出る走り方で、4本の脚が宙に浮かない走りなのです。
通常の馬の走り方は、斜対歩、つまり左右の足がが交互に出る走り方です。
この走りは、体全体を使うためスピードは出ますが、上下動が激しく、乗っている人間も激しく揺れてしまいます。
モンゴル系の血を引く馬たちには自然にこの走りができるDNAを持つ馬が5%はいると言われています。
宮古馬や与那国馬にはこのDNAが受け継がれているのではないかと言われていて、ということは両方の馬は元を辿るとモンゴル系かもしれないということになりますが・・・。
この走りが求められた時代背景は、狩猟民族の狩りの場面と古代の戦争の場面です。
上下動の激しい斜対歩では、馬上の人間の位置が不安定で弓矢を射ったり、槍を投げたりという行動が制限されます。
上下動のない馬の走りだと、この動作が制約を受けにくく、狩りや戦の場面で有利に働くのです。
「天高く馬肥ゆる秋」という言葉は、実は、天が高くなり馬が成長する秋になると、モンゴル地方の匈奴たちが馬に乗ってやってきて、肥沃な大地から得られた農作物を奪いに来るぞ!という中国の警告の意味の言葉です。
話がかなり脱線しましたが、この琉球競馬は、直線距離の長い広い馬場が必要で、戦後復興期の沖縄では、次々と馬場が潰され、住宅地や商業地へと変わって行きました。
自然のくぼ地を利用してできる闘牛が戦後も復興を遂げたのとは逆に、闘牛以上に盛んだった琉球競馬は廃れるどころか、存在すら忘れられていったのです。
今、沖縄こどもの国では、この琉球競馬、ウマハラセーが復活し、年に数回ですが、行われるようになりました。
そこで活躍している馬たちは、宮古馬や与那国馬です。
動物園であるこどもの国だからできると言ってしまえばそれまでですが、この琉球競馬は、馬具や衣装なども独特のものがあり、宮古馬の保存だけでなく、伝統の織物産業など他の産業にも影響を与え得るものなのです。
宮古馬を活用したホースセラピーや琉球競馬を活用することで、観光地宮古島の付加価値を更に高める工夫はできないものでしょうか!!
勿論、月の餌代も十分用意できない民間の有志の力やボランティアの力では絶対無理です。
だからこそ、本気で宮古馬の保存を考えるのであれば「補助金を出せば良い!」という発想ではなく、ドラスティックな官民を挙げて、リゾート施設などの巨大資本を巻き込んだ展開が必要ではないでしょうか。
今必死で私財を投げうって宮古馬の保存に尽力している飼養者の方やボランティアの方々の努力に報いるためにも、簡単ではありませんが、大きな展開に持っていく工夫が求められていると私は考えています。
荷川取牧場でボランティアをしていた学生さんの言葉が忘れられません!
「一人でも多くの人に、宮古馬の存在と、現状だけでも知って頂きたいです!」
続く・・・!!
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