2016年06月06日
★追悼!-史上最強のヘビー級ボクサー・モハメド・アリ-
★追悼!-史上最強のヘビー級ボクサー・モハメド・アリ-
大きな星が逝きました!
若い人には記憶がないかも知れませんが、モハメド・アリ(旧名カシアス・クレイ)の名はボクシングファンならずとも世界中に名を轟かせるビッグネームです。
沖縄のヒーローは、言わずと知れた具志堅用高ですが、個人的には具志堅が現れる前のヒーローがモハメド・アリでした。
小学生の私は、牛小屋の前で夕方牛の餌をやり、牧草を与え、お腹が膨れるのを確認するまでその場に留まり、夕食を採りませんでした。
やぶ蚊と闘いながら真っ暗な牛小屋の前で、ステップを踏みながらシャドウボクシングをするのが日課でした(^^♪
あの頃のボクシング中継はというと、日本人のタイトル戦はゴールデンタイムに放映されましたが、ヘビー級のタイトル戦は、深夜12前後にVTRで放映されていました(沖縄では)。
因みにその頃の日本の世界王者は、小林弘、西条正三、沼田義明、柴田国明、大場政夫といった、フライ級、フェザー級、ジュニアライト級の軽いクラスのチャンピオンたちでした。
何故深夜放映のヘビー級の試合を見ていたのかはよく覚えていませんが、何かのタイミングで見たカシアス・クレイの試合か、ドキュメンタリーで日本人のチャンピオンたちの倍くらいのヘビー級の迫力に圧倒されたのかも知れません。
TV放映があるのを見つけると8時前には寝て、夜中に起きて試合を観たものでした。
アリの業績等は、既に報道されているのでここでは取り上げませんが、名トレーナーのアンジェロ・ダンディ(故人)とのコンビで、力任せに大男が殴り合うパンチ力が全てのヘビー級界にスピードとテクニックを持ち込んだ戦略家でもあります。
アンジェロ・ダンディ氏を追悼する当時のブログが以下のURLです。
http://yukarigo.ti-da.net/e3795151.html
殺し屋と言われたソニー・リストンのハードパンチを空振りさせ、滅多打ちにしてKOした王座奪取劇はセンセーショナルな出来事でした。
日本では亀田兄弟が有名ですが「ほらふきクレイ」と呼ばれた大口を叩くスタイルもアリが最初のボクサーでしょう。
徴兵制に反対し、王座をはく奪され、復帰が許されてからの戦いも素晴らしいものがありました。
当時のチャンピオン、クラウチングスタイルのスモーキージョーこと、ジョー・フレイザーに敗れ(のちに雪辱、通算2勝1敗))、若いケン・ノートンにも敗れ(後に雪辱通算1勝1敗)、峠をを越したか?とも思われましたが、
ジョー・フレイザーを子ども扱いにして王座に就いたジョージ・ファーマンに挑戦した戦いは無謀な世界挑戦にも思えました。
ザイール(現コンゴ共和国)の首都キンシャサで行われた世界戦は「キンシャサの軌跡」と呼ばれました。
この試合は、夜中に起きて観ましたが、私もファアマンの予言する2回KOで決まると予想していましたが、まさかまさかの結末でした。
私的には、後の「ゆかり号VS新和王」という闘牛の春の全島闘牛大会(H6年)を凌ぐ大番狂わせでした(*^-^*)!!
その後は、体力の衰えとともにプロモーターとの駆け引きでも腕を見せ、合計得点制ではなく、優勢なラウンド数で決めるラウンド制を取り入れたりしてタイトル防衛を重ねたのも頭脳派らしいアリのもう一つの姿です。
1976年にアントニオ猪木との異種格闘技世界戦も驚きでしたが、当時リングサイド席が破格の30万円というのもびっくりでした。
レオン・スピンクスに敗れて王座を失い、リターンマッチでリベンジ、王座返上、かつてのスパーリングパートナーであるラリー・ホームズへの挑戦(11回TKO負け)など、衰えても話題に欠かないアリでしたが、1981年に引退。
その後、アリの姿を見るのは、1996年のアトランタオリンピックの開会式でした。
パーキンソン病に侵され、病魔と闘う姿を全世界にアピールしたのが印象的です。
あれから20年。ついに巨星が天に召される時が来ました。
心からご冥福をお祈り致します。
大きな星が逝きました!
若い人には記憶がないかも知れませんが、モハメド・アリ(旧名カシアス・クレイ)の名はボクシングファンならずとも世界中に名を轟かせるビッグネームです。
沖縄のヒーローは、言わずと知れた具志堅用高ですが、個人的には具志堅が現れる前のヒーローがモハメド・アリでした。
小学生の私は、牛小屋の前で夕方牛の餌をやり、牧草を与え、お腹が膨れるのを確認するまでその場に留まり、夕食を採りませんでした。
やぶ蚊と闘いながら真っ暗な牛小屋の前で、ステップを踏みながらシャドウボクシングをするのが日課でした(^^♪
あの頃のボクシング中継はというと、日本人のタイトル戦はゴールデンタイムに放映されましたが、ヘビー級のタイトル戦は、深夜12前後にVTRで放映されていました(沖縄では)。
因みにその頃の日本の世界王者は、小林弘、西条正三、沼田義明、柴田国明、大場政夫といった、フライ級、フェザー級、ジュニアライト級の軽いクラスのチャンピオンたちでした。
何故深夜放映のヘビー級の試合を見ていたのかはよく覚えていませんが、何かのタイミングで見たカシアス・クレイの試合か、ドキュメンタリーで日本人のチャンピオンたちの倍くらいのヘビー級の迫力に圧倒されたのかも知れません。
TV放映があるのを見つけると8時前には寝て、夜中に起きて試合を観たものでした。
アリの業績等は、既に報道されているのでここでは取り上げませんが、名トレーナーのアンジェロ・ダンディ(故人)とのコンビで、力任せに大男が殴り合うパンチ力が全てのヘビー級界にスピードとテクニックを持ち込んだ戦略家でもあります。
アンジェロ・ダンディ氏を追悼する当時のブログが以下のURLです。
http://yukarigo.ti-da.net/e3795151.html
殺し屋と言われたソニー・リストンのハードパンチを空振りさせ、滅多打ちにしてKOした王座奪取劇はセンセーショナルな出来事でした。
日本では亀田兄弟が有名ですが「ほらふきクレイ」と呼ばれた大口を叩くスタイルもアリが最初のボクサーでしょう。
徴兵制に反対し、王座をはく奪され、復帰が許されてからの戦いも素晴らしいものがありました。
当時のチャンピオン、クラウチングスタイルのスモーキージョーこと、ジョー・フレイザーに敗れ(のちに雪辱、通算2勝1敗))、若いケン・ノートンにも敗れ(後に雪辱通算1勝1敗)、峠をを越したか?とも思われましたが、
ジョー・フレイザーを子ども扱いにして王座に就いたジョージ・ファーマンに挑戦した戦いは無謀な世界挑戦にも思えました。
ザイール(現コンゴ共和国)の首都キンシャサで行われた世界戦は「キンシャサの軌跡」と呼ばれました。
この試合は、夜中に起きて観ましたが、私もファアマンの予言する2回KOで決まると予想していましたが、まさかまさかの結末でした。
私的には、後の「ゆかり号VS新和王」という闘牛の春の全島闘牛大会(H6年)を凌ぐ大番狂わせでした(*^-^*)!!
その後は、体力の衰えとともにプロモーターとの駆け引きでも腕を見せ、合計得点制ではなく、優勢なラウンド数で決めるラウンド制を取り入れたりしてタイトル防衛を重ねたのも頭脳派らしいアリのもう一つの姿です。
1976年にアントニオ猪木との異種格闘技世界戦も驚きでしたが、当時リングサイド席が破格の30万円というのもびっくりでした。
レオン・スピンクスに敗れて王座を失い、リターンマッチでリベンジ、王座返上、かつてのスパーリングパートナーであるラリー・ホームズへの挑戦(11回TKO負け)など、衰えても話題に欠かないアリでしたが、1981年に引退。
その後、アリの姿を見るのは、1996年のアトランタオリンピックの開会式でした。
パーキンソン病に侵され、病魔と闘う姿を全世界にアピールしたのが印象的です。
あれから20年。ついに巨星が天に召される時が来ました。
心からご冥福をお祈り致します。
Posted by ゆかり号 at 12:50│Comments(0)
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