2020年02月10日

★日曜日は、あの世の正月・ジュールクニチー(16日)でした!!

★日曜日は、あの世の正月・ジュールクニチー(16日)でした!!

2月9日(日)は、旧暦の1月16日!

グソー(あの世)の正月

いわゆるジュールクニチーでした。

かつては、ジュールクニチーは、墓参りと、仏壇重箱(料理と餅)チュクン(1組・料理と餅の重箱セットがこの世とあの世の分で2セットで一組になります))果物をお供えしていました。

私の田舎では、簡素化されてきて、我が家でもご飯をお供えし、花木(屋敷内のクロ木を使います)を替え、ウチャトー泡盛、そして、線香をあげるだけになりました。

今年は、マーミナーチャンプルーと、ヒジキの炒め物、仏壇に豚肉必需品ですから、県産豚肉のハム味噌汁の具は庭のネギとほうれん草を入れたのを用意しました。

★日曜日は、あの世の正月・ジュールクニチー(16日)でした!!



ただ、ミージュールクニチー(新16日)といって、前年のジュールクニチー以降に亡くなった方がいる家庭では、墓参りと仏壇のお供え物、そして、線香をあげにくる親戚や集落の人々のために御馳走を用意します。

私の集落では、門中親戚かどうか関係なくミージュールクニチーに当たる家々を回って故人を偲び線香を挙げていきます。

今年は、たまたま日曜日に当たりましたので、仕事を休むことなく行事を行うことができました(*^_^*)!!

市内の母の実家の叔父新16日の線香を挙げに行き、それから集落内の新16日の家に線香を挙げてきました。

因みに、宮古・八重山など離島シーミーよりもジュールクニチーの方が盛んだと言われています。

シーミー(清明祭)は、琉球王府の意向冊封使に配慮してで盛んにおこなわれていたのを本島内でも推奨したため沖縄でも盛んにおこなわれるようになったものです。

そのため、沖縄本島内では、ジュールクニチーよりもシーミー(清明祭)の方が盛んになっていったものです。

逆に、冊封使が行くことのない離島には、琉球王府も強く勧めなかったためシーミーは広まらず、本来のジュールクニチーが古来のしきたりにどうりに行われ、今に至っているのだと言われています(勿論諸説ありますが・・・)。

前日の土曜日は、15日でしたので、ヒヌカン仏壇ウガン(御願)をお供えしました。

★日曜日は、あの世の正月・ジュールクニチー(16日)でした!!


★日曜日は、あの世の正月・ジュールクニチー(16日)でした!!



時代が変わり、年々簡素化されてきたとはいえ、父母が亡くなった今は「最低限の先祖供養は続けていかないといけないなあ~」とつくづく感じる今日この頃です(*^_^*)!!



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Posted by ゆかり号 at 05:26│Comments(0)沖縄の年中行事
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