2021年04月08日
★二十四節季の清明が、何故旧暦中心の沖縄で行われるのか?
★二十四節季の清明が、何故旧暦中心の沖縄で行われるのか?
いろいろな説がありますが、以下は、あくまでも私なりの理解です。

現在の暦の主流は、日本もそうですが古代エジプトを起源とするグレゴリオ暦で、太陽の運行を基準にした太陽暦です。
地球が太陽の周りを一周する周期を1年とするもので、季節の流れに忠実です。
4年に1回、閏年に1日(2月29日)を付け加えるだけで調整ができますね。
沖縄は、今でも旧暦で様々な行事が行われており、それは太陰太陽暦という古代中国を起源として起こった暦です。
これは、太陽と月の動きの両方を取り入れ、季節と潮の満ち干、植物(農作物)の動きを理解するのに便利な暦でした。
農漁業中心の生活が長かったことと、季節感が沖縄の気候風土とマッチするため今でも太陰太陽暦が重宝されている要因ではないかと思われます。
但し、月が地球の周りを一周するのが、29.53日で、12か月では354日となり、太陽暦との差が11日できて、33か月に1回(正確には19年に7回)うるう月を入れて、1年を13か月とする調整が必要です。
この調整が必要な月のある年をユンジチ(閏月がなまったもの)と言って、余分な月のある年なので、あの世の世界にも知られない月(年)であるということで、煩雑なしきたりに煩わされることなく仏壇ごとやお墓の移動などに良いとされている年(月)なのです。

二十四節季の一つ清明。
二十四節季は、太陽の動きで、昼間が一番長く夜が短い日を夏至、昼が一番短く夜が長い日を冬至に二分し、
昼と夜の長さが同じになる(太陽が真東から上がり真西に沈む)春分と秋分で二分して4等分にし、
更にその間に、立春、立夏、立秋、立冬を入れて八節とし、
一節は45日になるので、これを3等分にして二十四節季としています。

清明とは、春分の次の節季に当たり、清浄明潔(しょうじょうめいけつ)の略で、空気が澄んで、陽の光が明るく万物を照らし、全てがはっきりと鮮やかに見える時期であるという意味です。
清明祭は、清明の季節に先祖供養をしながら一族が墓の前に集い、お供え物を一緒に食べ酒を酌み交わすお祝いです。
主に旧暦で行事が行われる沖縄で二十四節季の一つである清明に、清明祭(シーミー)として行われるというのは不思議な感じもしますが、
清明祭そのものは、十八世紀中ごろに中国から伝わり、沖縄風にアレンジされてきたものだと言われています。
清明は、中国からの冊封使(さっぽうし)によって伝わり、現在風に言うと、冊封使達に忖度した琉球王府が本島内でも行うよう奨励したことから沖縄本島全土に広まったと思われます。
冊封使は、前琉球国王の葬儀と新国王の認証式のため明王朝から派遣された使節団で、200人から400人が、約半年間滞在していたと言われています。
従って、冊封使が行かない(目が届かない)宮古・八重山などの離島には王府の奨励がなく(行き届かず)、清明祭をする習慣が根付くことなく現代に至っているのだと思われます。
ですから、宮古・八重山では、清明は行わず、16日(ジュールクニチー)が盛んだと言われているのはそのためなのです。
※冊封使の寄港地である慶良間諸島では清明は行われていますよね(*^-^*)!!
長くなりましたが、諸説あろうかとは思いますが、以上が私が知り得た清明祭に関する説明です。
いよいよ今週の日曜日が、我が門中の清明祭です。

伝統を守りつつも、その土地の状況と現在の生活様式に合わせて変化しつつある沖縄の一大風習です。
子や孫の世代にも伝えていくために、この記録を残しておきたいと思います。
いろいろな説がありますが、以下は、あくまでも私なりの理解です。

現在の暦の主流は、日本もそうですが古代エジプトを起源とするグレゴリオ暦で、太陽の運行を基準にした太陽暦です。
地球が太陽の周りを一周する周期を1年とするもので、季節の流れに忠実です。
4年に1回、閏年に1日(2月29日)を付け加えるだけで調整ができますね。
沖縄は、今でも旧暦で様々な行事が行われており、それは太陰太陽暦という古代中国を起源として起こった暦です。
これは、太陽と月の動きの両方を取り入れ、季節と潮の満ち干、植物(農作物)の動きを理解するのに便利な暦でした。
農漁業中心の生活が長かったことと、季節感が沖縄の気候風土とマッチするため今でも太陰太陽暦が重宝されている要因ではないかと思われます。
但し、月が地球の周りを一周するのが、29.53日で、12か月では354日となり、太陽暦との差が11日できて、33か月に1回(正確には19年に7回)うるう月を入れて、1年を13か月とする調整が必要です。
この調整が必要な月のある年をユンジチ(閏月がなまったもの)と言って、余分な月のある年なので、あの世の世界にも知られない月(年)であるということで、煩雑なしきたりに煩わされることなく仏壇ごとやお墓の移動などに良いとされている年(月)なのです。

出典:暮らし歳時記
二十四節季の一つ清明。
二十四節季は、太陽の動きで、昼間が一番長く夜が短い日を夏至、昼が一番短く夜が長い日を冬至に二分し、
昼と夜の長さが同じになる(太陽が真東から上がり真西に沈む)春分と秋分で二分して4等分にし、
更にその間に、立春、立夏、立秋、立冬を入れて八節とし、
一節は45日になるので、これを3等分にして二十四節季としています。

出典:講談社暮らしの本
清明とは、春分の次の節季に当たり、清浄明潔(しょうじょうめいけつ)の略で、空気が澄んで、陽の光が明るく万物を照らし、全てがはっきりと鮮やかに見える時期であるという意味です。
清明祭は、清明の季節に先祖供養をしながら一族が墓の前に集い、お供え物を一緒に食べ酒を酌み交わすお祝いです。
主に旧暦で行事が行われる沖縄で二十四節季の一つである清明に、清明祭(シーミー)として行われるというのは不思議な感じもしますが、
清明祭そのものは、十八世紀中ごろに中国から伝わり、沖縄風にアレンジされてきたものだと言われています。
清明は、中国からの冊封使(さっぽうし)によって伝わり、現在風に言うと、冊封使達に忖度した琉球王府が本島内でも行うよう奨励したことから沖縄本島全土に広まったと思われます。
冊封使は、前琉球国王の葬儀と新国王の認証式のため明王朝から派遣された使節団で、200人から400人が、約半年間滞在していたと言われています。
従って、冊封使が行かない(目が届かない)宮古・八重山などの離島には王府の奨励がなく(行き届かず)、清明祭をする習慣が根付くことなく現代に至っているのだと思われます。
ですから、宮古・八重山では、清明は行わず、16日(ジュールクニチー)が盛んだと言われているのはそのためなのです。
※冊封使の寄港地である慶良間諸島では清明は行われていますよね(*^-^*)!!
長くなりましたが、諸説あろうかとは思いますが、以上が私が知り得た清明祭に関する説明です。
いよいよ今週の日曜日が、我が門中の清明祭です。

伝統を守りつつも、その土地の状況と現在の生活様式に合わせて変化しつつある沖縄の一大風習です。
子や孫の世代にも伝えていくために、この記録を残しておきたいと思います。
Posted by ゆかり号 at 06:25│Comments(0)
│沖縄の年中行事
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